花巻神社
由緒
当神社は、往古より里の人々の厚い信仰を受けていた愛宕神社・稲荷神社二社が、両氏子崇敬者の永年の願いにより昭和30年に合祀され、名称を花巻神社と改称しました。
その後、愛宕神社境内地内に鎮座の八坂神社を合祀し、昭和58年に現在の境内地に移転御造営を完工しました。
花巻開町以来の里の守護神を祀る、尊崇篤い神社であります。
御祭神
愛宕大神 迦具土命(かぐつちのみこと)
天正19年(1591年)南部藩二十六代信直は、北秀愛に稗貫・和賀八千石を与えて花巻郡代に任命した。秀愛は盛岡に通ずる街道筋として文禄中(1593年頃)四日町の開町に重点をおいた。
その後、父北信愛(松斉)が二代目の郡代に任ぜられる。花巻の地は伊達氏と境を接する軍事的な要地であり、松斉は慶長16年(1611年)南部利直の命をうけて当時鍋倉にあった萬福寺を花巻に移し、八幡寺と改め稗貫・和賀両郡十カ寺の本寺とした。
その鎭守として軍神・火防の神である愛宕大神を勧請した。
稲荷大神 豊受姫命(とようけひめのみこと)
天和元年(1681年)胆沢郡より遷座し、その年の9月9日遷座の霊験として、一夜の間に境内は烈しく亀裂して清水が湧き出たのを始めとしてたびたび種々の奇瑞があり、時の郡司がこれを非常に敬慕し国主に上達した。これに対して国主は畑地を寄進し、氏子は相図り社殿を造営して、篤く祀った神である。
五穀豊穣・万般の産業の守護神として信仰されている。
八坂大神 建速須素男命(たけはやすさのをのみこと)
八坂大神の鎮座は年号不詳であるが、古来よりの口伝によれば和賀から夜半松明を振照らして遷宮したことにより、火振天王と称され、例祭には氏子が夜半松明を振り振り参拝するのが通例であった。
家内安全・疫病退散・五穀成就の神として崇敬されている。